2012 中国山地たたらサミット in 奥日野


 こんにちは。
 私は広島県安芸太田町加計で陶芸(焼き物)をしている林俊一と申します。
 このような場に立つのは初めてで、場違いなのは承知のうえで出席しました。
 宜しくお願いいたします。

 私が「たたら製鉄」の存在を知ったのは「もののけ姫」がヒットした頃で、
 興味を持ったのが、今日おられる野原先生の講演を、
 三次の県立博物館で聞いた時からです。

 ここで少し安芸太田町の紹介をします。
 場所は、広島県北西部、広島市に流れ込む太田川の上流域であり、
 江戸後期に、全国でも最大手の鉄山師だった加計隅屋の本拠地の加計町が、
 あったところですが、現在は合併して安芸太田町となっています。

 隣の北広島町でも古墳時代から中世にかけてのたたら跡が多数発見されており、
 このエリアは、出雲に肩を並べる「たたら製鉄」の一大産地でした。

 この度の報告は、
 私のような一個人が「太田川アクティブアーチ」という任意団体を主宰し、
 4年間ほど活動してきたものです。

 このキャラクターは「カナクソくん」と「カナメちゃん」と申します。



 最初の活動は、北広島町聖湖、大和ハウスの別荘地を借り、
 広島の鋳物メーカーの大和重工の協力をいただき、
 企業から約15名、広島市立大学の金属造形4名の参加がありました。

 三段峡の山中に捨てられたカナクソを探したり、
 河原で風化して丸くなったカナクソを拾ったり、
 広島で作った鋳物のダッチオーブンを使って調理体験をしたりしました。

 とても小さなイベントでしたが、これがスタートです。



 2年目は、少し規模が大きくなりました。
 同じく、企業から約10名、広島工業大学から約30名の参加がありました。

 アウトドアで、世界の鉄、中国山地のたたら製鉄、広島の鋳物の歴史を、
 小西先生が講義されました。

 また、薪割り、五右衛門風呂、ダッチオーブンの調理体験をしました。
 この時は大和重工の社員が主導的に取り組んでくださいました。



 3年目は、有難いことに、
 マツダ財団、エネルギア文化・スポーツ財団、中国建設弘済会からの助成金があり、
 3日間にわたる、少し大掛かりなワークショップを実施しました。

 1日目は、荒れ野になっている「餅乃木たたら跡」の探検で、
 御神木、砂鉄置場、高殿、石垣、鉄の道、鉄池、カナクソ捨場など、
 図面と見比べながら確認しました。

 この時、町史編纂されたガイドさんが急にキャンセルとなり、
 私が初めてガイドに挑戦しました。

 山の中で、図面だけで「たたら製鉄」を語るには、
 正直なところ力不足でした。

 この時の悔しさが、その後のネタ帳作り、
 現在取り組んでいる紙芝居へと繋がっていったように思います。

 午後は三段峡をトレッキングし、夜は関係者との交流会がありました。



 2日目は、雲南市吉田の「鉄の歴史村事業団」の協力を頂き、
 小だたらの操業をしました。

 広島市立大学の金属造形院生2名も参加しました。

 テント、機材、材料一式を運搬しての操業は、とても大変でしたが、
 快く協力してくださった歴史村の方々に感謝しつつ、
 県境を越えた交流が始まるのではないかとの期待が芽生えました。

 地元イベントのバスツアーと、時間調整をして、ケラを出しました。

 この地で、明治の初期に消えた「たたらの火」が、
 現代に蘇ったのは歴史的なことではないかと思ったのは、
 私の自己満足でしょう。

 見学者は約50名でした。



 3日目は、大鍛冶操業です。
 前日出たケラを叩いて鉄棒にする作業で、会場は私の工房「風炎窯」です。

 参加者は、いかに重労働で、非効率で、不均一な鉄作りであったかを体感しました。

 後に、このうちの一人が 廃業予定であった加計の鍛冶屋の後継者となったのも、
 不思議な縁です。

 このイベントを開催するにつけ、 多くの専門家からの寄稿文と励ましをいただきました。

 三段峡周辺に眠る「たたら製鉄の歴史」、
 それが広島の鉄産業に繋がっていった「物語」を宣言文としてまとめ、
 インターネットを使って発信し始めました。

 現在でも、ホームページ、ブログ、フェイスブックで発信中です。



 この年の秋には、福岡勤労山岳会の方々を招いて、
 鉄をテーマにした1日周遊ツアーを実施しました。

 吉水園、木炭車の館、長尾神社、歴史民俗資料館、 温井ダム、
 大暮角炉跡、奥滝山峡、深入山、三段峡のコースでした。

 安芸太田町と北広島町は、ひとつの製鉄地帯であったことが良く解り、
 鉄には興味が無さそうな方々でも、私のしていること自体が興味深いようでした。

 加計の「吉水園」は鉄山師であった加計隅屋の別邸で、金屋子も祭られており、
 モリアオガエルの産卵や紅葉が有名で、6月と11月には多くの見学者があります。

 また、大暮には角炉の煉瓦煙突と石垣が残されています。



 この年は、さらに頑張りました。

 炭鉱で有名な筑豊の陶芸家が、
 日本で始めて世界記憶遺産になった山本作兵衛氏の絵や人柄と、
 その登録に至る経緯に詳しいので、 11月の「五サー市」という地域イベントに招いて、
 陶芸展に加えるカタチで資料展示をしました。

 絵日記のレプリカ、石炭、ボタ、砂鉄、カナクソ、木炭などを展示しました。

 この炭鉱労働者が残した世界記憶遺産は、
 同じく江戸時代に大鍛冶の労働者であった佐々木古仙斎が描いた
 「加計隅屋鉄山絵巻」の価値とあまりに共通点が多く、
 深い意味を持つ気がしてなりません。

 翌年、「加計隅屋鉄山絵巻」の一般公開のお手伝いをすることになるとは、
 この時は、思ってもいませんでした。



 4年目となる今年の6月に「加計隅屋鉄山絵巻」が30年ぶりに一般公開されました。

 私が所有者の御子息と懇意であり、
 教育委員会の協力があればこそ実現したもので、私が実行委員長を努めました。

 広域連携として「菅谷たたら」のガイドさんによる解説、 中国地方のパンフ配布、
 企業ブースの展開、創作紙芝居、 伝統工芸品の展示、茶会などが付随されました。

 企業展示をされた大和重工は鋳物、萬国製針は縫い針、
 どちらも江戸時代から続く老舗企業であり、
 太田川流域に本社があるというのも、歴史的な背景があってのことです。

 「加計隅屋鉄山絵巻」の価値については御専門の先生方にお任せするとして、
 この時、初演となった創作紙芝居について触れます。



 「三段峡たたら場絵巻カナクソ物語」です。

 簡単なストーリーは、中学生が林間学校の肝試しで迷子になり、 カナメちゃんと出会い、
 江戸時代にタイムスリップします。

 山の中、たたら場での大変な重労働を知り、カナクソ様に森の大切さを教わる。

 やがて、五右衛門風呂をくぐり抜けて、現代に戻ってくるのですが、
 今の生活に欠かせない鉄が、
 中国山地の森とつながっていることに気付くといったストーリーです。

 「紙芝居」とはシンプルなものですが、反面、大変難しいものだと解り、
 専門家の「いまくさ鉄平」さんに、作画とシナリオの修正をお願いしました。

 安芸太田町を中心に、
 読み聞かせ活動をしている「野うさぎ文庫」さんにも手伝ってもらいました。



 こちらは「三段峡たたらの森の仲間たち」です。

 江戸時代に「たたら製鉄」が盛んであった場所として、
 三段峡周辺の美しい風景を紹介したあと、
 山中に捨てられたカナクソが、明治以降に再び掘り返されて、
 帝国製鉄の角炉によって再生し、
 北九州の八幡製鉄の重要部品として再利用され、
 日本の産業革命を支えていたというストーリーです。

 こちらも「森と鉄」の関係が伝わるように配慮しました。

 私は陶芸家ですので、特技を生かしてと申しましょうか、
 「鉄を感じる陶芸体験」という、陶芸と紙芝居を組合わせた体験プログラムを作り、
 コツコツと活動しています。



 「鉄を感じる陶芸体験」は、幼児から中学生を対象としたマスコット作りで、
 粘土には本物のカナクソを混ぜています。

 これまでに、地元の小学校、中学校の総合学習、関西の中学校の修学旅行、
 広島市内の私塾の体験ツアー、広島銀行の福利厚生として実施しました。

 現在、安芸太田町は、広島県と連携するかたちで、修学旅行の誘致に取組んでおり、
 来年から本格的な受入が始ります。

 教育プログラムとしての可能性を探っており、
 生まれ育った地域に誇りが持てる青少年育成という観点からも、
 地元の小中学校での実施を検討しています。



 これは夏休みに実施した田舎民泊です。
 3人の中学生が実際に我家に泊まって、家業体験と調理体験をしました。

 調理は、私が考案した「炎のたたらカレー」というもので、
 耐火煉瓦のオーブンと耐熱皿を使って、 400度で一気に焼き上げる「焼きカレー」です。

 何故、「たたら」なのかといえば、中央のドライカレーの中には半熟卵が隠れており、
 たたら炉を壊すようにスプーンで割ると、
 中から黄色いケラが流れ出る様に見えるからです。

 さらに、紙芝居や陶芸ロクロを体験して、
 翌日は三段峡の河原でカナクソを拾うという内容でした。

 広島には平和学習という強みがあり、広島に近い安芸太田町の立地もあり、
 全国から教育旅行の適地としてクローズアップされようとしています。



 安芸太田町は全国でもトップレベルの高齢化率と人口減少率であり、
 地域は疲弊して危機感すらあります。

 そうした中で、豊かな自然を有効に活用し、観光振興につなぐ取組みが、
 修学旅行の「田舎民泊」であり、もう一つが大人向けの「森林セラピー」です。

 森林の持つ癒し効果を医学的に検証し、観光に繋げようとするものです。

 来年度から本格オープンしますが、
 「鉄を感じる陶芸体験」をトライアルとして2回、実施しました。

 「たたら製鉄」の歴史や、森林共生を学び、 陶芸を楽しみ、
 三段峡をトレッキングするという複合的なプログラムです。

 「もりみん」というマスコットキャラクターと、葉っぱの皿を作りました。



 アンケートによりますと、 初回は、鉄の話や、紙芝居や、ドキュメント映像が長すぎて、
 勉強のようで癒されないと不評でした。

 2回目は、陶芸の楽しさを全面に出し、
 鉄の話や森林共生の話を、付け加える程度としました。

 教えるというよりも、前後のつながりを意識し、
 楽しみながら気付いてもらえる様な工夫をしました。

 すると評価が逆転し、
 鉄と森の関係を知り、 現代生活を振り返るといた気付が生まれています。

 森林セラピーも、たたら製鉄も、陶芸も、旅行商品としては弱いのですが、
 繋ぎ方やガイドを工夫すれば、 魅力的なプログラムになるかもしれないと考えています。

 癒しから肥やしへと、休息から発見へと、そんなプログラムに出来ればと思います。



 「安芸十り」とは、「鉄」に由来するモノツクリの「ことわざ」です。

 広島では古くから、
 ヤスリ、イカリ、ハリ、クサリ、キリ、モリ、ツリバリ、カミソリ、ノコギリ、ヤリなど、
 鉄製品が盛んに作られていました。

 そこから発展したのが、造船や自動車などの産業であり、
 そのDNAは「たたら製鉄」にあります。

 広島の特徴として、 たたら製鉄が盛んであったエリアは、特別名勝や国定公園であり、
 豊かな森林と深い渓谷、美しい湖や湿原が広がる景勝地だということです。

 また、かんな流しの棚田、その残土が堆積した広島デルタ、
 鉄を運んだ動脈としての太田川、そこから派生した産業や企業、
 これら全てを含めて「物語」とするならば、
 広島らしい「産業ツーリズム」が展開できます。

 そこから未来への思考が始まれば、
 企業CSRや、森林排出権取引などに繋がる可能性があります。


 今回の発表を機に、太田川アクティブアーチで取り組んだ事例を並べてみますと、
 「加計隅屋鉄山絵巻」の一般公開を除いて、全てが小さな取組みです。

 しかし、企業、観光、行政、教育との連携がそれなりに生まれており、
 ある意味、資金のない、小さな組織だからこそ出来たとも言えます。

 今後の抱負を述べます。
 中国山地で盛んな神楽は、勇壮で派手な衣装、ダイナミックな演出が特徴であり、
 一方で「たたら製鉄」が盛んであった頃の、質素な舞が、
 加計の長尾神社に「湯立神楽」という名前で継承されています。

 只今、「神楽」と「たたら製鉄」をテーマとした展示会を準備しています。

 また、先月締め切った、フォトコンテスト&スタンプラリーは、
 北九州、雲南、マツダミュージアム、大和ミュージアム、吉水園、三段峡を、
 広域的につなぎました。

 現在、応募写真の審査中ですが、来年も継続したいところです。

 いずれも、資金がないのが大問題ですが、何とか実現したいところです。



 もし、私がプログラムする「鉄を感じる陶芸体験」や「紙芝居」が、
 皆様の地域の、お役にたつようであれば、是非お呼びください。

 最後になりますが、これは三段峡の遊歩道の脇にある老木です。

 現在、「三段峡たたらの森」という名は、紙芝居のタイトルでしかありませんが、
 地名として定着し、「広島の鉄物語」が広く認知されることを願いまして、
 紙芝居の最後のところを、「野うさぎ文庫」のナレーションでお聞きくだい。

 また是非、安芸太田町にもおいでください。

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  「三段峡たたらの森」の奥深く、枯れて倒れそうなお婆さんの木があります。

  それは昔、「たたら製鉄」で働いていた人達が、
  鉄がうまく出来ますようにと、毎日祈っていた木の神様!

  手を合せ、目を閉じて、静かに感じてみよう!

  森はつながっている! 森は回っている!
  みんな! 「たたらの森の仲間たち」になろうよ!

  恥ずかしがりやのカナクソくんも待ってるしね。

  カナメちゃんは森のことばかり考えてるから 頭から芽が生えるだね。

  あれ? 僕にも少し生えてきたよ。

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  有難う御座いました。