ROUTE191 〜 蒸気まんじゅう物語


 





 







 


道具

 加計商店街にあった福間製菓が、イベント時に長年使っていたものを、平成30年5月21日に譲り受けました。子ども向け体験プログラムに活用します。


 追記:元祖、萩市浜崎の山崎さん、60年営業(92才没)
 鋳型製造:岡山の菓子業者?






ROUTE191 〜 蒸気まんじゅう物語

 広島市安佐北区可部を起点に、安芸太田・益田・萩・下関へとつながるR191。沿線には「たたら製鉄」の遺構が数多くありますが、不思議なことに江戸後期に一大産地であった安芸太田町には、看板の一つもありません。

 それに反して、日露戦争(明治37年)の頃、萩が発祥とされる「蒸気まんじゅう」が、安芸太田町加計地区で、古くから根付いています。神社の祭、夜神楽の音色、屋台の蒸気まんじゅうの香りは、秋の風物詩でした。蒸気まんじゅうは、現在のイベント会場でも見ることができます。

 たたら製鉄が最盛期だった江戸後期、加計隅屋の砂鉄の主力供給地だったのが三隅・井野。さらに津和野・萩藩との関係には、何かがありそう。明治の初頭に加計隅屋が廃業し、国営の広島鉄山(三次・布野)による延命策がされながら、萩は近代化に向かった。

 加計に、西洋の技術を応用した太田川製鉄(木炭銑)が建設されたのが大正7年。第一次世界大戦の終戦に伴い、操業は不調でした。

 昭和2年、東城の帝国製鉄が復活し、八幡製鉄と提携。昭和6年に萩の林家から資本を得て軌道に乗り、昭和13年に加計工場が復活した。

 現在、奥出雲が中心と考えられている「たたら製鉄の歴史」ですが、安芸・石見・津和野・萩の全容が明かされると、歴史がひっくり返る可能性があるという複数の専門家がいます。

 オモシロイ♪ 何かが発見できるといいな♪





ROUTE191 〜 可部・鋳物・川舟

 R191の東の起点である、広島市安佐北区可部は、古くから羽釜などの鋳物の産地で、現在でも唯一「五右衛門風呂」を作っている工場があります。全国的には長州風呂として流通したのは、芸州よりも長州のほうが、ブランド力があったということ。また、加計に向かうR191の太田川沿いには、マンホールや広島針の工場が稼動しています♪














ROUTE191 〜 石見&津和野

 中世(毛利)のち、石見銀山とたたら製鉄(村)は、江戸幕府直轄の天領となったのち、たたらの領地(飛び地)は、津和野藩の領地に移った。

 まずは、R191を広島から島根県に入るとスグにある「本谷たたら」は、加計隅屋の経営規模と警戒体制が表記されている。人馬に加え、加計からの川舟など。さらに「鍋滝たたら」は、加計隅屋から、金城三浦に譲渡されたもの。さらに、R191の先にある「大鳥たたら」の看板。

 松江藩の統制があった出雲に比べて、安芸・石見では、民間も参入して、材料や技術の広域的な交流が活発であった♪












 


ROUTE191 〜 カナメちゃん・奇跡の里帰り

 たたら製鉄の操業時に、不純物として排出され、山に放棄されたのがカナクソです。時が流れ、川に転げて丸くなったものが発見できます。

下の画像は、太田川水系で収集したカナメちゃん。拾われただけでも奇跡なのに、西中国山地を超えて、砂鉄だった頃の「三隅・井野」に里帰りしました。ある意味、歴史的快挙かな?

 島根県では、砂鉄と棚田の関係が調査されています。マサ土に3%程しかない砂鉄を、谷や水路に流しながら比重選別した。山の地形が変わってしまうほどの土木工事であり、流された残土が下流に堆積し、平野となった。

 広島の太田川水系では、1628年、広島城の堀が埋まるとの理由で、砂鉄採取が禁止されました。広島デルタは、中世やそれ以前に、太田川の残土が堆積し、江戸期以降に計画的に灌漑されたものです。広島のたたら製鉄が栄えたのは、井野からの高品質な砂鉄が安定的に供給されたから。

 現在、三段峡で多く見られるカナメちゃんの生まれ故郷は、日本海が見える棚田なのです。



 






ROUTE191 〜 絵巻対決

 島根県益田から山口県に入り、しばらく走り、ホルフェンス海岸のある須佐は、スサノオ伝説があるところ。その先を左折して、狭い山道を走ると、白洲たたら製鉄遺跡がある。

 萩藩のお抱え絵師が書いた「先大津阿川村山砂鉄洗取図」の現場であり、山砂鉄採取の図と、現地の山並みが良く似ている。他に、川砂鉄、浜砂鉄の記録があります。

 たたら製鉄の最盛期の江戸後期のビジュアル記録は僅かであり、加計隅屋鉄山絵巻と双璧される。加計隅屋鉄山絵巻は大鍛冶の労働者が描いたもので、所作が正確であると評価されている。



 


先大津阿川村山砂鉄洗取図




加計隅屋鉄山絵巻






ROUTE191 〜 大板山たたら・世界遺産

 白洲山を越えて、細い県道を走り、萩に向かう途中から、また山奥に向かう・・

 思うに、山口県より島根県のほうが、たたら製鉄の世界遺産化に向けて、積極的だった。しかし、それよりも時代が下る近代化遺産のほうが登録された。ここ大板山たたら遺産は、江戸期の遺構でありながら、そうした流れに乗れてラッキーですね。

 ビジターセンターにはパネル資料があります。常駐のガイドさんは地元の主婦で、嫁入りした頃、ここらに小屋があった記憶があるくらい。それが世界遺産になったので驚いたそうな。

 長州は、砂鉄が少ないため、たたら製鉄が遅れていた。安芸・石見(津和野)の技術を、藩命でスパイしたと思われる古文書(1816年・猪退谷たたら)が残されています。また、墓碑によると、職人も各地から集まったようです。

 現地は整備され過ぎて、カナクソは発見できませんでした。



 







 






ROUTE191 〜 ガイディング

 たたら製鉄とは、日本独自に進化した製鉄でありながら、現代からは乖離した存在であり、遺構を見学しただけではイメージし難いもの。ガイドの力量が大切ですが、話しだけでは伝わらないマニアックなもの。

 ここでは、ガラスの透かし、タブレット、陶板を使っての工夫がありました。私の場合、同じような発想で始めた「紙芝居」ですが、苦戦しています。



 






 

 


ROUTE191 〜 中世からの流れ

 奥安芸(豊平)の「中世たたら遺構」は、先進的な地下構造や規則性があり、それが出雲に伝わったのが解明されてきました。製鉄民としての「毛利家」が調査されつつあり、近世になり、広島藩主から「砂鉄の採れない長州藩主」に左遷された流れにも、何かあるかもしれません。

 砂鉄の供給地が浜田とありますが、これは「三隅・井野」のことで、加計隅屋と同じ場所。さらに安芸・石見の技術を、萩藩がスパイしたという古文書が発見されています。








ROUTE191 〜 産業革命

 イギリスが100年余りかかった工業化を、日本は50年余りで成し遂げたことは、東洋の奇跡といわれる。世界には多くの産業遺産があるが、このスピード感が「世界遺産」の根拠となるもの。

 製鉄の近代化に向けた国策の拠点は、広島・岩手・群馬でした。釜石はオランダの技師により、鉄鉱石と木炭による「高炉製鉄」に取組みましたが、不調・・ 広島はフランス帰りの技師によって、カナクソと木炭による「角炉製鉄」に取り組みました。

 明治38年あたり、釜石では「石炭・コークス」での製鉄に成功し、広島も「木炭銑」に成功した。国営製鉄所の候補地は、広島の坂であったが、釜石の成功により、北九州に決まった。筑豊の石炭と、鉄鉱石の輸入経路が、主な理由。

 あまり評価されていないのが「野島親子」の存在。国営広島鉄山の技術を引き継ぎ、大暮〜東城〜加計(帝国製鉄)〜安浦へと継承した。八幡製鉄との資本提携もあり、萩の林家からの資金援助もあった。急激な西洋化に、「木炭銑」の優位性をもって立ち向かった執念には感服します。(産業革命遺産としての扱いなし)













ROUTE191 〜 反射炉

 近代化の象徴とされ、オランダ人が伝えた反射炉ですが、西洋的には高炉製鉄に移行する過渡期の技術とされる。反射炉とは、炎を一旦天井に対流させることで熱効率を高めようとしたもの。炎の引きの強い高い煙突と、背面のロストルで、効率的に炎をコントロールしようとしたのでしょう。単窯の天井部分(鉄骨で補強)は崩壊しています。試験途中で断念した。R191沿いにあります。








 







 


ROUTE191 〜 蒸気まんじゅうの道具

 平成30年5月21日に譲り受けました。加計商店街にあった福間製菓が、イベント時に、長年使っていたものです。体験プログラムに活用します。



ROUTE191 蒸気まんじゅう物語 PP
現代 R191 広島可部〜萩(下関) 安芸・石見(津和野)エリアについて  鉄の歴史 スサノオ伝説(萩市須佐) グーグルマップ・画像
中世 石見の状況 出羽鋼(邑南町) 吹き子絵図(浜田市金城) のちの、 絵画
中世 安芸(北広島町)の状況 坤束(こんぞく)製鉄遺跡 有田神社(白鷺伝説) 毛利? 画像書籍
江戸初期 広島城築城に伴うかんな流しの禁止(太田川水系、デルタ) 供給地としての棚田(浜田市・井野) 鉄の道(浜田市・金城) 画像
江戸中期 飛び地(石見銀山との関係) 浜田藩 津和野藩(金城、匹見) 天秤ふいごの発明(1700年代・浜田市・川本町) 資料・画像
江戸後期 太田川の川舟(1797・岡岷山) 〜 月ヶ瀬 〜 安芸十り (高瀬舟) 絵画・画像
江戸後期 本谷たたら(1824年、匹見) 鍋瀧たたら(金城・三浦氏、1850年加計隅屋より購入) 絵画・画像
江戸後期 加計隅屋鉄山絵巻(大暮) 加計隅屋掛軸(邑南町市木、ミズホハイランド)  佐々木古仙斎  加計隅屋経営図 資料
江戸後期 白須たたら絵巻(阿武町) 長州藩(産業スパイ、津和野) 大板山たたら(萩市・阿武町) 反射炉・造船所(萩市) 石見職人(釜石) 資料・画像
10 近代 木炭銑 帝国製鉄加計工場(官営広島鉄山〜広域 萩資本) 八幡製鉄 広域性(呉市〜マラヤワタ) 画像
11 近代 長州風呂と五右衛門風呂の関係(広島市可部) 広島針 画像・資料
12 現代 TATARA鍋&MOONスキレット (安芸太田町、風炎窯) 低温調理、遠赤外線 可部の羽釜・鋳物がヒント  画像
13 現代 紙芝居活動 龍姫湖伝説(安芸太田町、温井ダム) 日本書紀 芸藩通史 可愛神社 民話 資料・紙芝居
14 現代 蒸気饅頭の不思議??(萩市・阿武町・安芸太田町)  画像・紙芝居