■■ 龍姫湖おろち伝説 ■■
 日本書紀によると、スサノオは安芸の国の可愛(えの)から、出雲に向かう途中でヤマタノオロチを退治したとの記述があります。オロチは製鉄民と解釈でき、広島が”たたら製鉄”の一大産地であったことが、芸藩通志や民話からも読み取れます。温井の渕から、出雲に向かったオロチは、温井ダムの完成によって広くなった龍姫湖に戻っています。何故なら、当時の広島のたたら製鉄が、いかに先進的であったかの”証拠”が、考古学調査や古文書から明かされ始めたからです。湖面を流れる朝霧や、ダムの放水に向けて、”愛の呪文”を唱えれば、真実の扉が開かれることでしょう。
















温井の起源と布古手池
 昔、温井の「大窪」にあった岩の隙間から、こんこんと湯が沸いていた。やがて、湯治客が増えて「温井」と呼ばれるようになった。湯元の下流に「布古手池」という底なし沼があり、いつの頃か、老婆が子供をさらうという噂が広がり、誰も近寄らなくなった。そこで村人は、苦労して沼を埋め立て、田んぼを作り、氏神さんを祀り、祝い、稲は順調に育っていた。しかし、その年の秋の集中豪雨で、滝山川の洪水に流され、再び沼地になった。何故か、温井の温泉も冷たくなってしまい、それも今は龍姫湖の底に沈んでいる。






温井ダム見学(団体予約)