伯耆国「大山開山1300年祭」大山ワンダーフォーラム
「日本の鉄文化・たたらの歴史フォーラム」
「全国たたらサミット」
平成30年10月21日 米子市公会堂 大ホール

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 こんにちわ。安芸の国、広島県安芸太田町から参りました林俊一と申します。職業は陶芸家です。安芸太田町を聞いたことのある方は手を上げてください。〜〜〜?

2011年に、加計隅屋鉄山絵巻の一般公開展示の手伝いさせて頂いたこともあり、前回のたたらサミットに呼んでいただきました。あれから5年が経過し、再びこのような場に呼んでいただき感謝いたします。

 たたら製鉄の研究が盛んな山陰に比べて、広島は静かです。しかし、昨今の専門家による研究で、新たな歴史の扉が開かれました。前半は、安芸・石見の歴史的な背景、後半は私共の活動について発表いたします。




 これは、広島市可部から萩に通じる国道191号線で、安芸・石見・萩を広域エリアとして設定しています。「安芸のたたら製鉄」を知るには、広い視点による解釈が必要だからです。

タイトルの「龍姫湖おろち伝説」とは、加計の温井ダムの完成によって生まれた人造湖に眠る物語ですが、最後に少し説明いたします。




 萩の須佐には、ホルンフェルス海岸があり、スサノオが上陸したとの伝説があります。また、日本書紀には出雲に向かう途中で、安芸・可愛(えの)に立ち寄ったとの記述があります。古代朝鮮語ではスサとは鉄の事なので、スサノオとは鉄の王様という意味です。

 また、初代天皇の神武天皇が、高千穂から東へ向かう遠征の途中で、安芸・府中の埃宮(えのみや)、可部の帆待川に立ち寄ったとの伝説があります。日向は古代の鉄産地で、それが枯渇したのでしょうか? 奈良・橿原にたどり着き、日本を建国したというのが、日本書紀の記述です。




 高速・浜田道の瑞穂インターの工事に伴い発見されたのが「今佐山遺跡」で、古墳時代と平安時代の製鉄跡が確認されています。瑞穂・邑南は、石見エリアでは最も古い製鉄遺跡が発見されているところです。

 「野だたら」から発展した「吹子たたらの絵図」が金屋子縁起に残されており、浜田市金城の歴史資料館にパネルが展示してあります。

 中世になると「出羽鋼」が生産され、名刀が生まれました。




 北広島町の、中世・坤束遺跡の調査により、毛利から尼子へと「地下構造」が伝わった可能性が指摘されています。毛利の系譜は、室町幕府の相模、製鉄遺跡のある新潟の柏崎、そして広島の吉田にあります。どうやら、たたら製鉄と関係がありそうです。

 同じく北広島町の壬生神社に残る古文書に、安来の金屋子神社よりも古いシラサギ伝説があります。

 中世には隠岐守護の子孫である、加計隅屋の先祖が加計に移り住み「寺尾銀山」を開発しました。




 太田川河口の広島デルタの堆積は、中世以前の「かんな流し」によるものです。

やがて、江戸時代になると毛利の居城は広島に移りました。城の堀が埋まるという理由で、太田川水系での「かんな流し」は禁止されました。

 以後、厳重に守られ、砂鉄の採取地は山陰に移り、これを期に可部から山陰に拠点を移した鉄山師もいます。日本海の見える井野の棚田は砂鉄採取地であり、金城の笠松峠の石畳が運搬ルートとして残っています。




 当時の流通は驚くほど広域的であり、天領であった石見銀山との関係もあり、浜田藩・津和野藩が「飛び地」になっていました。

 川本町で「天秤鞴」が発明され、生産量が飛躍的に高まり、邑智町には大規模な「かんな残丘」が残ります。

 安芸太田町加計は、山陰から瀬戸内・大坂に向けての鉄の中継地として栄えました。




 加計から可部・広島に下る、太田川の川舟は、物流の動脈として、広島藩によって管理されていました。陸路の砂鉄運搬は7里とされますが、安芸・石見ではもっと長距離であり、搬出に川舟を使うことで、流通コストを押さえました。朝、出発すると、その日の内に広島に到着しました。

 広島城下には、鉄の道具を作る職人エリアが生まれ「安芸十り(じゅうり)」と言われました。ハリ・ノコギリなど、語尾に「り」の付く道具の意味です。

 川舟の絵画を残した広島藩の絵師の日記によると、急流を下る船頭の櫂さばきは激しく、命がけだったとか。加計への帰りは、海の産物を積み、綱を引いて、舟宿に泊まりながらの帰途でした。

 写真は大正時代のものと思われますが、たくさんの蔵や川舟が並んでおり、加計隅屋の繁栄ぶりが伺われます。




 出雲のたたら経営は、一子相伝とされますが、安芸・石見はどうだったのでしょうか?

江戸後期に加計隅屋が経営した「本谷たたら」は「厳重な警備」だったようですが、近くに所有していた「鍋瀧たたら」は、たたら場・砂鉄採取場・山林を含めて、金城の三浦氏に売却されました。

 石見では、飢饉に苦しむ村の庄屋が、救済のために「たたら経営」に乗り出し、浜田藩もそれを許可し、職人を雇ったという記録が複数あります。どうやら、民間が参入しやすいエリアだったのかもしれません。




 安芸・石見で一番大きな鉄山師に成長した加計隅屋に、当時の絵巻物が残されています。約8mのものが2本。描ききれなかった部分に継ぎ足しがあるなど、作業の記録・下絵としての要素が強いものです。

 たたらの労働者が青年期に描いたもので、北広島町大暮には生家跡、大鍛冶場、金屋子神社が残っています。彼は画家として、京都や北陸で研鑽を重ねたのちに帰郷しました。晩年の作として、神社の絵馬や掛軸が残されています。




 これは、山口・阿武町の白洲たたらの鉄山絵巻ですが、長州藩の絵師が描いた46mの大作です。長州には砂鉄がありませんが、石見の鉄山師が森林を求めて進出したために、海から砂鉄を搬入している場面があります。

 また、長州藩の武士が「津和野のたたら場」に潜り込み、産業スパイを働いた報告書が発見されています。石見から長州に伝わった「たたら製鉄」が、萩の近代化を進めたとも言えます。




 明治以降の近代化策として、国営の製鉄所が設置されました。広島・三次の広島鉄山では、西洋からの技術を得ながら、山中に捨てられていた鉄滓のリサイクルに取組みました。鉄滓とはカナクソのことです。

 グラフのように輸入が拡大する状況下で、木炭と鉄滓で作る「木炭銑」の優位性を信じ、執念で取り組んだのが、民間経営の帝国製鉄です。広島鉄山の技術を、さらに改良し、戦争に影響されながら、倒産と復活をくり返した、波乱万丈の経営でした。

 萩の資本、八幡製鉄との提携もあり、重要素材を供給しながら、昭和30年代まで操業しました。




 広島には、造船・自動車・鋳物・針などのモノツクリ企業が多く、独自技術を開発するスピリッツに溢れています。

 五右衛門風呂は、広島の可部が主な産地なのに「長州風呂」として流通しました。当時の時代背景もあり、現代のマーケティングにも通じる戦略でした。

 「安芸・石見のたたら製鉄」は、民間・藩・国が影響し合い、飛び地があったりと複雑ですが、現代の企業経営にも似た「広域的な流通」がされていました。明治以降の近代化を含めた視点で、たたら製鉄のストーリーを整理することが、広島の立ち位置を明らかにすることになるでしょう。




 ここから私共のフィールドワークです。これは大学生向けのフィールドワークで、前もって教室で勉強し、北広島町の角炉跡、加計隅屋鉄山絵巻の作者の生家跡、大鍛冶跡、金屋子神社を見学します。のち、鉄滓探しや、おろち伝説の眠る温井ダムの見学などを実施しています。




 こちらは小学生向けの体験プログラムです。特別名勝指定の三段峡は、今でいうところのジオパークで、学びの要素が整理されつつあります。観光地としての扱いは100年の歴史ですが、美しい渓谷の中に、江戸期のたたら製鉄跡、炭焼き窯跡、労働者の墓があり、山中や河原に鉄滓を見ることが出来ます。




 こちらは修学旅行生向けの体験プログラムです。ダム湖に眠る民話の紙芝居を演じたり、ダム直下の河原で鉄滓を探したりします。民話のルーツは、日本書紀や芸藩通史にさかのぼります。これは観光用の小さな神社ですが、ダム湖に沈んだスサノオを祀る可愛(えの)神社の基石は、移動されてモニュメントになっています。




 昨年から、地元の小学校を巻き込んで「紙芝居作り」を始めました。

 地元に眠る民話を朗読し、登場するオロチの絵を書いてもらい、プロの紙芝居作家に手渡しました。地元住民が、シナリオの調整を行い、喜劇編や幼児編など、教室やインターネットで演じています。

 紙芝居から生まれたキャラクターを使って、熨斗やお守りをつくり、土産物の開発も始めました。絵本の製作も始まったところです。以上が私共の現状ですが、住民主導の小さな取組といったところです。

 活動状況は、ホームページにありますので、ご覧ください。




 ご清聴ありがとうございました。







ROUTE191 蒸気まんじゅう物語 PP  
現代 R191 広島可部〜萩(下関) 安芸・石見・津和野エリアの鉄の歴史 蒸気まんじゅうとは? グーグルマップ
古代 スサノオ伝説(萩市須佐) 神武天皇伝説(安芸・府中町埃宮、広島市可部) 飛び地について  画像
中世 吹き子絵図(石見・浜田市金城) 出羽鋼(石見・邑南町) 絵画
中世 坤束(こんぞく)製鉄遺跡(安芸・北広島町) 製鉄民としての毛利のDNA(相模〜柏崎〜安芸高田市) 有田神社の白鷺伝説(安芸・北広島町) 画像・書籍
江戸初期 広島城築城に伴うかんな流しの禁止(安芸・太田川水系〜デルタ) 砂鉄供給地としての棚田(浜田市・井野) 鉄の道(浜田市・金城・1811年) 画像
江戸中期 飛び地としての浜田藩・津和野藩(石見銀山・たたら製鉄) 天秤ふいごの発明(1600年代後半?・浜田市・川本町) 資料・画像
江戸後期 太田川の川舟(1797・広島藩絵師・岡岷山) 〜 月ヶ瀬 〜 安芸十り 〜 大坂鉄座(1780年) 絵画・画像
江戸後期 本谷たたら(1824年、益田市匹見) 鍋瀧たたら(1850年加計隅屋から金城三浦氏に転売) 加計隅屋の経営図 絵画・画像
江戸後期 加計隅屋鉄山絵巻(北広島町・大暮?1794年生まれ) 加計隅屋掛軸(邑南町・市木) 佐々木古仙斎(たたら労働者〜絵師) 資料
10 江戸後期 白須たたら絵巻(長州藩絵師・阿武町・46m) 長州藩(産業スパイ、津和野) 大板山たたら(萩市・阿武町) 反射炉・造船所(萩市) 資料・画像
11 近代 帝国製鉄加計工場(官営広島鉄山〜広域 萩資本 木炭銑) 八幡製鉄との提携 広域性(移転〜呉市安浦〜マラヤワタ) ニッタイ奈古工場? 画像
12 近代 長州風呂と五右衛門風呂の関係(広島市可部) 広島針 新聞マーケティング 画像・資料
13 現代 TATARA鍋&MOONスキレット(安芸太田町、風炎窯) 可部鋳物・低温調理・遠赤外線  WEBマーケティング 画像
14 現代 龍姫湖おろち伝説(安芸太田町・温井ダム) 紙芝居(日本書紀 芸藩通史 可愛神社 民話) 体験プログラム 紙芝居・資料
15 現代 三段峡たたらの森(安芸太田町・QRコード構想中・熊南峰以前〜) 鉄を含む地質と植物と生態系 画像・資料
16 現代 蒸気饅頭の不思議???(萩市・阿武町・安芸太田町) 壬戌丸?(じんじゅつまる) 紙芝居・資料




 話しは変わって、私が幼い頃から身近にあったのが「蒸気まんじゅう」です。秋祭りの神楽の夜店の定番でした。

 最近解ったのが、萩が発祥だということで、どうやら萩・阿武・安芸太田にしか存在しません。戊辰戦争の時の長州藩の戦艦がモデルのように思いますが、詳しいことは解りません。

 100年前のものと思われる「古い炭火用の鋳型」が現存するのは、阿武と安芸太田だけであり、照合してみると同じものでした。どうして安芸太田に伝わったのでしょうか?? これも広域交流のひとつでしょうか??




 萩で、紙芝居を演じながら「蒸気まんじゅう」を販売している方と面談しました。日露戦争時に「ロシアの戦艦を食っちゃえ」といった逸話もあるのですが、どうやら紙芝居用に作られたストーリーのようです。紙芝居を創作する過程で、シナリオを修正しながら、解り易く、楽しい演出をするのは当然のことです。

 思うに、歴史的な伝説、神話、風土記、小説、民話、このパワーポイントでさえも、演出があると言えなくもありません。現代のマーケティングの現場でも、ブランド・ストーリーが重視され、歴史文化をうまく活用することは、企業や自治体にとって大切なこと。

 「安芸・石見のたたら製鉄」は、民間・藩・国が影響し合っての経営、飛び地や広域的な流通などで複雑ですが、非常に大きなものが眠っている気がしてなりません。