■VOL・123  遺作展   
2008/1

掲示板 会場風景

ブルブルブル・・・

今年の冬はブチクソ寒くて、雪が舞う日も多く、身も心も引き締まる日々を過ごしておりますが、
年末の大掃除は、バケツの冷たい水を絞って、ブチクソ頑張りました。


それは何故?

昨年の後半は、たくさんの展示会が続いたのですが、その合間に、
亡き師匠の「遺作展」を見せて頂いたり、「駒ケ岳」に登って自然の摂理に圧倒されたりと、
謙虚な気持ちにならざるおえない体験が重なったのであります。

心の奥の引出しの、古びた心象風景を見つめております。



「沖塩明樹の仕事」

倉敷市立美術館の広い会場には、多くの来場者があり、
気取らない大らかな作風の雑器が、ゆったりと展示されておりました。

愛好者お手持ちの壷あり、遺族お手持ちの食器あり、工房に飾ってあった大皿あり・・・
写真パネルあり、道具類あり、蒐集品あり・・・

その大らかな空気に包まれておりますと、謙虚にならざるおえない自分がおりました。


振り向けば・・・

昭和53年、田舎の高校を卒業したばかりの、世間知らずの巨漢の小僧を迎えてくださり、
窯場に住込みでの見習修行が始まりました。

心の奥の引出しには、恥ずかしい失敗の思い出ばかりが詰まっております。

昔ながらの徒弟制度は、家庭や学校や会社とは違った厳しさがありますが、
師匠や奥様や兄弟子は大変良くしてくださいました。


されど・・・

根性不足で4年間しか耐えられず、
倉敷から沖縄の窯場にトンズラした自分は、弟子とは言えない立場にあるのですが、
その後も気にかけてくださり、今日まで御縁を頂いております。


大皿 食器 登り窯

「民芸」

師匠の作風、職人としての生き方は、民芸と言われるもので、
JAPANでは柳宗悦をリーダーに、濱田庄司・河井寛次朗らの工芸家たちが提唱した工芸運動です。

素朴で堅牢で安価な民衆工芸品への再認識は、
工業化による社会の歪が顕著になり始めた時代への反動のようでもありました。


やがて戦後の高度成長期を迎えますと・・・

デパートの画廊では、民芸作家の個展で作品が売れまくり、
商店街では、民芸喫茶・民芸居酒屋・民芸品店が溢れ、
観光地では、土産品=民芸品となり、
マスコミでは、たくさんの書籍が出版されました。

民芸の根源は、素朴な工芸品を敬う謙虚な想いですが、
カタチにすれば理論や派閥や勲章が生まれ、
時代に合わなくなってしまえば、形骸化してしまうのは、茶道も華道も宗教も同じかもしれまへん!

イギリスの産業革命への反動で芽生えた「アーツ&クラフツ運動」は、
民芸とバーナードリーチとの東西交流が起因しており、
JAPANでは、ある程度の機械化を認めた工芸品として、クラフトという言葉が使われ始めました。


価値観の多様な現代・・・

一般的に、民芸は和風&クラフトは洋風で、その解釈はアイマイですが、
今日でもなおさら、その根源は再認識されるべきものかもしれまへん!



「倉敷みなと窯」

倉敷美観地区は、民芸館や美術館を中心とした文化的な観光地で、
お世話になっていた頃は、山陽新幹線の開通も相まって、たくさんの観光客が溢れておりました。

酒津公園の水門に隣接した大きな窯場は、
師匠が初代であり、当時は3〜4名の弟子が働いておられました。


大きな京都式の5連の登り窯&素焼き用単窯での焼成・・・
土練機はなく、足踏みでの土づくりで、半分は山からの原土・・・
人力石臼でのモミ灰作り・・・

そこから生まれる膨大な数の雑器は、倉敷界隈の民芸品店から、全国に旅立ってゆきました。


私がお世話になりました4年間の間に、イベントとか展示会とか陶芸教室とかの経験はなく、
職人がモノだけを作って生きてゆけた環境が、そこにはありました。


あれから四半世紀が過ぎ、師匠が亡くなられて5年が経過・・・

後継者はなく、敷地は転売され、工房はサッシ屋さんの倉庫になり、
登り窯は崩れ、野ざらしのレンガが残る切ない光景となってしまいました。



「風炎窯の将来」

倉敷から沖縄にトンズラして、広島に帰って風炎窯を開業し、早17年・・・

師匠から受けた恩は、次の若い人に伝えるのが、徒弟制度の奥義なのですが、
以前、弟子入りしてくれた大学出のギャルは、11ヶ月の短期間で実家にトンズラしました。

風炎オヤジに師匠としての力量がないのが最大の原因であり、
弟子をとるのがいかに大変な事かを思い知らされました。


4〜5年勤めてくださったパート勤務のアルバイトの主婦も、
不景気対策として休んでもらってかなりの年月が過ぎ、
風炎キッズ1号・2号も、後継者としての可能性は全くありまへん!

細々と、家内手工業で生き延びている現状・・・
いずれ川辺の風炎窯にも、切ない光景が広がるのは間違いありまへん!


ブルブルブル・・・

冬来たりなば春遠からじと思いたい。


箸置 道具

振り向けば・・・

弟子入は、募集要項も、学歴審査も、採用試験も、労働基準法もなく、
面接で熱意と覚悟をどう伝えるかが最大の関門で、最初から人間関係が濃い。

自分の性格は、サラリーマンには向いていない確信はありましたが、
陶器が好きという確信はなく、学校にはない徒弟制度と民芸への共感はありました。

ガイドブックを片手に、いろいろな方々の御縁を頂き、師匠に出会いました。


「修行」

毎朝7:20から、工房の掃き掃除とロクロ台の雑巾掛け。

8:00〜18:00までが仕事時間とされておりましたが、
仕事の段取り優先で定刻はなく、10:00と3:00に休憩が少し、
昼は一時間の食事休憩があり自炊でしたが、昼食は奥様手作りの豪華で美味しい弁当を頂きました。


当時は、倉敷近郊の山からの原土と、東広島市の粘土をブレンドしていましたが、
裸足で踏んで練っていましたので結構な重労働のうえ、
冬場には粘土が凍りますので、バケツで足湯しながらのシビレ作業でした。

菊練を覚えてから、師匠の使われる粘土を揉む。


夜や休日にロクロの練習をしましたが、
直線&直立デザインの「キッタテ湯呑」と呼ばれていたもので、
ロクロ作業の基本が網羅され、カタチを見る目が養われるとの理由で、3年間こればかり・・・

1〜2年は作っては壊しで、商品にはなりませんでした。

無口な師匠は、手取り足取り教える事はされませんでしたが、
自分は、あまりに覚えが悪かったもので、兄弟子が指導をしてくださいました。


釉薬掛けは、流し、指カキ、掛分と技法が多く、
白・黒・透明・飴・緑・辰砂・呉須・三彩と釉薬の種類も多く、
窯の温度ムラを計算し、作品の配置がされる窯詰めは、パズルのような作業でした。

窯焼きは、重油と薪の併用で3昼夜、白い炎を見つめながら、薪の束を運ぶ・・・
見習いにも、数本くべさせて頂けました。


登り窯の窯焼きは、3昼夜連続の交代制で夜明けになって終了し、
窯が冷めるまでの3日間の休暇が年3回程度あり、盆正月にも休暇がありました。

日曜日は休みでしたが、師匠や兄弟子の休日出勤は日常でしたので、
住込みの身では気の休まる時間は無く、自転車での外出が気晴らし・・・

給料は3万円でした。



見つめれば・・・

倉敷での修行に、沖縄や独立してからの体験が重なり、
倉敷の師匠も亡くなられて、当時は気が付かなかった事が、イロイロ見えてきたのであります。

厳しさの中の優しさであり、無言の中の慈愛であり、真実の愛のカタチである。


徒弟とは、師匠や兄弟子の技を、背中で盗んで体で覚えるようなもので、
禅問答のような一面があり、その矛盾のカタマリを文章やインタ−ネットで伝えるのは不可能です。

家長制度や嫁舅や老人介護にも似た濃い人間関係・・・

偉そうに徒弟制度の厳しさを語れる立場ではありませんが、
師匠の修行時代は、自分よりも遥かに厳しい時代であったのは間違いありまへん。



時代は変わる・・・

芸術大学や陶芸教室の隆盛・・・
陶土や釉薬の商品化で誰でもが購入・・・
ワンタッチで焼成できる電気窯や電子レンジ窯の誕生・・・
商ルートの変革による自宅ギャラリーやクラフトイベントの隆盛・・・
人口減で需要は減るのに陶芸家は増加・・・

昨今の陶芸家は、展示会での搬入・搬出・接客・顧客管理は当然であり、
マスコミへの売込みや、イベントや組織の運営が加わり、ブチクソ大変・・・

プロとアマの境界がアイマイとなり、作品や作家の需給バランスが崩れてしまいました。



地平線を見つめれば・・・

格差社会に翻弄され、職業観すら不透明にならざるおえない昨今の若者・・・
ある意味、厳しい時代に向かっているのかもしれまへん!

家族の絆すら、資産や預貯金や介護保険や年金問題にすり返られてしまい、
大切な何かを忘れてしまいそうであります。


う〜ん!

仕事とは、お金を得るための手段ですが、
楽しみとか生甲斐とかを越えた領域があるのは事実だす!



PS

遺作展にお邪魔した夜、
師匠が生前に行きつけの居酒屋で、奥様や兄弟子と歓談させて頂きました。

倉敷みなと窯時代の民芸雑器を、弟子達で復刻しようとのお誘いを有難くも頂きましたので、
「コイノボリの箸置」と「指カキ技法の雑器」に挑戦してみようかと思っております。


師匠が病床にあられた時、師匠作の「抹茶碗」「箸立」を頂戴し、
その上、風炎オヤジの小僧時代の「急須」「鶴首一輪挿」「湯呑」などを保管していてくださり、
それらも頂戴いたしました。


風炎オヤジは、陶歴とかプロフィールとか公募展とか勲章には無頓着なのですが、
最近になって気が付いた事があります。

修行時代を含めますと、来年で陶芸の道に入って30周年になります。

8年前に、福屋デパートの画廊で「風炎窯開窯10周年記念展」を開きましたが、
それ以来、個展を開いておりませんので、何かを画策するチャンスではあります。


ボケルに任せ・・・

中途半端な中年陶芸家になりますと、
新作のアイディアは減少するばかりで、昔の記憶が甦る今日この頃・・・

完全無欠の作品展というよりも、
修行時代の駄作の展示や、以前にTV放映された映像をDVDに編集したり・・・
修行時代のエピソードを添えた民芸風の「源流シリーズ」の製作発表・・・

やれるかどうかを思案中だす!


ブルブルブル・・・

遺作展の会場で一番シミルのは、師匠とお孫さんが戯れておられる写真パネル・・・
窓からの逆光が反射して、ロクロ台の座板がピカピカ輝いている風景・・・
弟子が毎朝、磨き込んだ証・・・

寒くても、バケツの冷たい水を絞って、拭掃除をしなくてはなりませぬ!









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