遺作展
民芸店 | 遺作 | 倉敷川 |
桜もほころぶ、春うららかな頃、倉敷時代の師匠の遺作展が開かれました。
早いもので、一周忌を迎えられました。
倉敷駅近くの市営駐車場に車を止めて、
駅周辺から踏み切りへと、商店街から美観地区へと、歩きましたが・・・
風景は、20年前の修行時代とは随分変わってしまいました。
木造の駅舎やバスセンターは、ターミナルホテルや三越デパートになり、
クラボウの紡績工場はチボリ公園になり、
商店街は、チトさびれて、シャッターが降りた店もチラホラ・・・
鶴形山の近くにある、展示会場の「とをる」は、倉敷らしい雰囲気のある、小さな民芸店です。
今回、展示されている作品は、師匠が生前に作り置きされ、素焼されていたもので、
亡くなられた後、三次と倉敷の兄弟子が釉薬掛けをされ、焼成された作品の数々です。
使い易い雑器や、花器が展示されているのですが、
焼き物とは不思議なもので、作者の人柄が伝わってくるものだす!
作風は無骨でシンプル!
師匠のおおらかで、優しい人柄が滲み出るもので、風炎オヤジの心の故郷であります。
御世話になっておりました、修行時代のあの頃と、同じデザインの作品も数多く・・・
職人としての生き方を貫かれておられましたので、作品価格も生前と同じで、安価でした。
やはり、昔話に花が咲くのですが・・・ もう、四半世紀前の事になってしまったのか・・・ う〜ん!
あの頃、粘土は足踏みで菊モミ・・・ 今は真空土練機!
ワラ灰の調整は石臼で人力・・・ 今はポットミル!
大きな5連の登り窯の窯焼きは徹夜・・・ 今は灯油窯!
荷造り梱包は、ワラ巻き・・・ 今はエアキャップ!
大忙しは、今も昔も同じですが、どこかおおらかな時代であったような気もします。
大きな登り窯でしたので窯出しは年数回・・・
倉敷は民芸店が多いですので、おおざっぱに、振り分けて納品・・・ 「とをる」にも度々、訪れました。
今の風炎工房は、
小刻みな展示会や納期に追われ・・・ 小さな灯油窯で、小回転しております!
焼きの色、個数、サイズ、重さ・・・ 御客様の要求も細かく、際限がありません!
デザインを増やしたら、道具や絵具が増えるばかりで・・・ もの忘れ!
おまけに、ネットでの販売に手を出してしまい・・・ 深夜作業!
何より、行商しないと生きていけないのは、つろう御座います。
師匠の奥様は薬剤師ですので、老けた風炎オヤジの健康にエラク心配して下さりました。
奥様とオヤジ |
風炎オヤジが、倉敷みなと窯で陶芸修行をさせて頂きましたのは、19〜23才までの4年間。
同級生は進学や、会社へ就職するのが当たり前の御時世で、車や恋に、夢中になる年頃でした。
この世界は求人もありませんでしたので、出会いを求めて、御意見を伺いながら、各地をさすらい・・・
やがて、民芸という言葉を知り・・・ 幸運にも師匠にめぐり逢えたのが、この道の始まりでした。
当時の、みなと窯は酒津公園近くで、墓地の近くでしたが、のち、牛窓に移転されました。
酒津の工房へと、チト車を走らせ、訪れてみましたところ・・・
当時の工房はありましたが、プロパンガスとサッシ屋さんの車庫と倉庫になっており、
住込み部屋は、当時のままでしたが、休憩所にでもされている様子でした。
大きな5連の登り窯は、跡形も無く・・・ その場所には、住宅が建っておりました。
そばの酒津公園は、花見の提灯で賑やかでしたが・・・ まさに夢の跡のようで、感傷にふけってしまいました。
何故、ワザワザ工房住込みで、泥マミレで、低賃金の見習の道を歩んだのか・・・
ワキミチソレタ変人で、学校や社会の矛盾に怒り、悩みもあったのは事実ですが・・・
高度成長・大量消費の時代、もの作りの職人仕事は、儚く消えゆく灯火のようでもあり、
さまよう風炎オヤジには、荒海航海の灯台のようでもありました。
今に思えば、迷惑ばかりおかけして、恥ずかしい想い出ばかりでがんす!
最初のロクロ練習は、真直ぐ筒型の湯呑でしたが、これには、基本作業が全て網羅されております。
師匠は、これが出来るまで、丸3年、じっと耐えて、無言で御教授くださり・・・
やっと形になりかけた頃、南の島の沖縄に、逃亡してしまいました。
風炎オヤジは、物覚えが悪く、真剣味も薄く、失敗も多く・・・ 申し訳御座いませんでした。
沖縄行きを決めたのは、自分の幼さゆえの事で、後悔はないのですが・・・
後日、師匠は、それで良かったと御理解くださりました。
使い捨てのように、見習をコキ使う工房が多いなか・・・
師匠は、ゆったりと構えて見守っていて下さったと、気が付いたのは随分後のことで・・・
今更ながら、恥ずかしながら、感謝しております。
時代のせいにするのは申し訳ないのですが・・・
もう、産業革命以前のギルドの職人世界の、厳しい徒弟制度は、過去のものとなってしまった感があります。
あれほど御世話になり、経験させて頂いた、仕事と気合と技を、
体で後世に伝える事は、残念ながら出来そうもありません!
学校でも、言葉でも、文章でも、画像でも、伝える事が出来ない事が、この世界にはありまする!
個性的で、オモシロイ作品を作る陶芸家に出会う事は、よくある事ですが・・・
確かな技術に裏打ちされた、数物作品を、コンスタントに制作できる、若い陶芸家は、少なくなってしまいました。
釉薬の原料に骨灰があります。 青白磁の微妙な色合いに用いられる事が多いのですが、
闘病の末の死際の遺言で、師匠は自分の骨灰を、釉薬にして焼くようにと、申し付けられました。
兄弟子が、定番デザインの白化粧掛けのスープカップを、この釉薬で焼かれました。
風炎カ〜サンは、以前から欲しかった作品らしく・・・ 大喜びで、記念に頂きました。
遺作展では、懐かしい作品ばかり展示されておりました。
始めて粘土に触った修行初日・・・ あの時と同じデザインの、コイノボリ箸置もありました。
今回、分けて頂きました雑器は、
ドンブリとして使う予定のワラ白釉の抹茶碗・・・ 流し掛けの、汲み出し湯呑・・・
これらと、骨灰の混ざったスープカップを、我家のダイニングテーブルに並べて、
胃酸がシミル、あの頃の思い出に浸っております。
う〜ん! 初心忘れるべからずか・・・ う〜ん!
PS
丁度、春休みでしたので、キッズとクラスメイトも同行したのですが・・・ 倉敷チボリ公園で遊びまくりますた!
朝10時のOPENから、夜7時まで、フリーパスポートで、ジェットコースターを10回も乗ったとか・・・
¥4,100の元は取る、このアツカマシサは、風炎オヤジの遺伝子でがんす!
帰りの車中は、爆睡で御座いました!
チボリパーク |
師匠が元気なおり、キッズたちは、勉強するようにと筆立てを、1個ずつ、頂戴しております!
師匠が、最初で最後に出版された作品集に、掲載されている作品なのですが・・・
渋い色合いですので、御当人たちは、あまり興味ないようですが・・・ 何時の日か、旅立ちの時に、持参させます。
何時の日か・・・ その作品に、何かを感じる時が来るでしょう。
ひとつの時代の、ひとりの職人の、その生き様は・・・ 風炎オヤジの心の故郷でがんす!