セラミックパークMINO
愛知県瀬戸地方、岐阜県美濃地方は、日本でも有数の陶磁器産地、
セトモノは全国共通、焼き物の代名詞でがんす!
なだらかな山波は、いかにも粘土質であり、風炎工房周辺の切り立った山々とは、大違いです。
2005年の愛知万博が、こちら周辺で開かれます。
自然保護がテーマらしいですが、海上の森での絶滅種の保護で、一時、問題になっていましたね!
今年10月に、セラミックパークMINOが完成いたしました。
陶磁器美術館、展示ホール、茶室、陶芸教室、レストラン・・・
素晴らしい施設で、自然環境に、いろいろな取り組みがされているようで、興味深いものでした。
水平基調の山波に溶け込むような外観は、ダムのようでもありますが、道路から一瞬見えるだけ・・・
ピラミッドのように、そそり立つというよりも、ひっそりと溶け込むようでした。
駐車場から、長いトンネルのアプローチ・・・ 大きなガラス窓からの借景・・・ 流れる滝のせせらぎ音・・・
人工的ではありますが、自然との共存がテーマであるようでした。
茶室前の池や滝は、地場産業のタイル張りですが棚田のようです。
各階のホールの窓から、角度の違った風景が楽しめ、水は、施設の下をくぐって・・・ ポンプアップされておりました。
建築家、磯崎新氏の設計との事でした。
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耐震構造 |
風炎ブース |
世界初の試みと致しまして、吊り工法での耐震設計がされておりました。
展示ホールの上に、陶磁器美術館があるのですが、過去から現代までの作品が展示されており、
茶陶、民芸、クラフト、オブジェ・・・ 立派な陶芸作品が沢山、鎮座いたしておりました。
頑丈な柱で、強固な吹き抜けの上から、ゴンドラのように美術館が、ぶら下がっております。
その下に展示ホールがあり、風炎ブースがあったのですが・・・
御客様が過って・・・ ¥1800のマンボウのマスコットを、落とされまして・・・ 破損!
ま〜仕方ないのですが、一言、謝って欲しかったけど・・・ 風炎オヤジのスルドイ風貌に恐れて・・・ 逃亡されました。
最新の耐震工法でも、地震が無くても、落としたら割れるのね!
トホホ・・・
施設の建設に、約130億円の御金が、動いたらしいですが・・・ 政治屋も、建築家も、建設業者も・・・
大儲けしたでしょうね。
ここは、財団法人で運営されているのですが、いくらハードが立派でも、どう生かすかは、ブチクソ大変でがんす!
先日の、ワールドカップで残された、競技場の施設運営でも、同じ事が、問題になっていますね。
今回の新しい施設での催事、ORIBEX2002は、実績がありませんので、
成功するか、失敗するか、全く、解りまへんでした。
陶磁器産地だし、万博もあるし・・・ スケジュールも空いてるし・・・ 以前の、有田での万博では大儲けしたし・・・
う〜ん!
されど結果は、見事、空振りでした! 出展者皆さん、始めての経験で御座いました。
機械化された、安価な量産陶磁器の産地のためか・・・ 名古屋地方の地域性か・・・
食器は百円単位の安いものしか売れず・・・ 反面、高額のメダツ作品が売れるという、怪現象も始めてでした。
中途半端な陶芸家は、チト苦しい。
とにも、かくにも、
運営、宣伝の不備・・・ 地域性・・・ アクセス・・・ 展示台の不備・・・ 運営者、出展者を含め、反省するしかありまへん!
それでも、新しい出逢いもありましたので、今後が楽しみでもあります。
あまりに暇でしたので・・・ 今後の、展示方法やライティングの、練り直しをしたり・・・
カ〜サンと交代で、ウォーキングを楽しみました。
施設を取り囲むように、散策道が整備され、広葉樹林は紅葉の真っ只中だす!
一周40分のコースですが、アップダウンが激しく、ハ〜ドでしたが、いつもと違う風景が新鮮でした。
裏山の一番高い所に、展望台が設置されておりました。
「あっ! 御客さん!」 「さっき、フクロウの花器を買って頂きまして、有り難う御座いますた!」
「あらら・・・」
「あっ! 富士山が見える! 冠雪してる!」 「あれは、富士山ですか?」
「あれは御岳ですよ!」 「さっきの人も、富士山と間違えてましたよ。」 「広島には、こんな山は無いでしょ?」
「ま〜その〜、風炎工房は山奥ですが、スケールが違いますよのう!」
この森は、絶滅危惧種の、シデコブシの自生地だそうで、春には薄ピンクの花が咲くそうです。
自然とは・・・ 山河とか、海とか、森とか・・・ 美をイメ〜ジいたしますが・・・
真剣に考えますと、実に奥深いだす!
美しい紅葉と、開発の為の伐採! 地震と、ワレモノを守る為の耐震構造! 好景気と、不景気!
人の業の、全てを、包み込む、あるがままの摂理・・・
う〜ん!
茶室で、茶碗でも回してみるか・・・
PS
20年程前・・・ 沖縄に渡る前の数日、車で、こちら周辺を旅したのですが・・・
あまり、記憶がありまへん!
それでも、瀬戸の神社に、陶祖・加藤唐四郎という御方が祭られておりました記憶が御座います。
沖縄修行での最初の工房、陶眞窯では・・・ 京都出身の先輩から、よく叱られていたのですが・・・
いわく、「この、トウシロウ! 広島人は何を言っても堪えん! ツラの皮が厚い!」
「そんなにワシは、優秀でがんすか?」 「・・・・」 「アホか! トウシロウとは、素人の事じゃ!」
「先輩、それは違いますぜ! 瀬戸焼の陶祖、加藤唐四郎を知らないんですね!」
「・・・」
あまりに自身満々な態度に、先輩も動揺しておりましたが・・・
中途半端なくせに、堂々と胸張って生きる、風炎オヤジの現状は・・・ あの頃と、全く変わっておりまへん!
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