ポルノグラフィティ

風炎キッズは、浜崎あゆみと、ポルノグラフィティが好きらしく、アユとかポルノとか呼んでおります。

☆ポルノグラフィティは、広島県の瀬戸内、因島市の出身らしいのですが・・・
曲はともかく、彼らの名前を聞いた時、チト、チョックでありました。

ポルノグラフィティを直訳いたしますと、エロ本ではないですか? キッズは、気軽にポルノと、呼んでおりまする。


キッズは、小学校3年生頃から、性教育を、何の抵抗も無く、受けておりますが・・・

以前、授業参観で、性教育の日がありました。

ユニ〜クな担任教師は、黒板いっぱいに、沢山の紙を貼って、熱血講義!
カ〜サンは、その紙を土産に持ち帰りました。

点々が、ブチ沢山書かれ、よく見ると、細い線が、チト、デザインされておりました。

カ〜サンの説明では、これは、
精子らしく、この紙を沢山コピーして、黒板に貼りだし・・・
三億匹の精子と、受精のしくみを、講義されたらしいのです。


この授業といい、ポルノの歌といい・・・ 風炎オヤジは、真剣に「性」について、思い巡らせてしまうので、ありますた!


オヤジが小学生の時・・・ 男子は自習で、女子だけ
別室に集め、別授業の時がありました。
「性教育、受けるんで!」と、マセタ男子に教えられ、何かアヤシイ、禁断のイメ〜ジを植え付けられますた。

6年生の時、このマセタ男子が、女子の身体測定を、覗きました。
担任教師は怒り狂い、男女、一緒の身体測定となり、その時はブチ、恥ずかしかった想い出があります。


中学の時・・・ 文化祭での発表で、絵を展示する事になり・・・ テーマは自由!
各自、家で書いて、父兄が集まる体育館で、当日、掲示される事になりますた。

その時、ワシは、
F1の絵を、雑誌を見ながら、書きました。 結構、好い出来で大満足!

当日の朝、絵の前に人だかり・・・ 皆、ワシの絵を見ているのかと、思ってみると・・・  ☆愕然!
そこにあったのは、トレーシングペーパーで、写し取ったとしか思えない・・・  ☆超写実!

大股ひらきの、ヌ〜ド! 真剣に慌てふためく、美術教師!

マセタ男子いわく、
「テーマは、自由! なしていけんか? 教科書の、ルノワールも、ヌードじゃ!」

とにかく没収され、後日、その事の是非で、
討論となり・・・ 授業が1時間、潰れますた。

マセタ男子の言い分も、一理あり・・・ 教師の説明も、チト、説得力に欠けておりますた。
この芸術の、不可解さも、ある意味、文化であり、勉強になりましたのう!


保健体育の女教師が、
産休で・・・ 臨時の教師は、都会育ちで、若くてピチピチの美人・・・

田舎の、
ボウズ頭の悪ガキに、なめられぬように、気合の性教育!

「男子が女子の体に、興味があるのは当然の事! 何でも聞いてください!」
当然、質問の嵐! 真剣に答える、女教師!

マセタ男子いわく、
「なんで、○○○は、英語なんか? 日本語じゃないと解らん! 方言のほうが、解り易い!」

「黒板に書くより、見せてくれたほうが早い!」

男子全員の拍手! 気合の女教師は、チト、
涙目でした。



いつか、キッズに、「どうして私が生まれてきたの?」と、
いつか、質問されるであろうと、覚悟しておりましたが、とりこし苦労でありました。

風炎オヤジより、キッズのほうが、女性の体についての、御理解が深いようだす!


長女は、沖縄で出産したのですが・・・ 医師は、
ラマーズ法とかで、父親の出産立会いを、薦められますた。
ワシは、こう見えても、血に弱いのでお断りしましたが、ビデオでしっかり見せて頂きますた。

性教育は大人になっても、続くのですね!


時代や場所の変化で、言葉の意味も、どんどん変っていくのは、オモシロイものだす!

ポルノといえば、歌手ではなく・・・ 
エロをイメ〜ジするのも、オヤジの証拠!


考えてみますと、
バカ!は、馬と鹿に、失礼でもあり・・・ クソッ!も、健康のためには、大切なものだしなあ〜

沖縄・米基地で働いておりました、美しい南米女性が、「クソッ!」と、同じ意味合いで 「コーニョ!」と、申しておりますた!

スペイン語か、ポルトガル語らしいのですが・・・ よく、言うので、意味を尋ねますと・・・
「コーニョ!」とは、女性性器の事でありました。
あ〜 恥ずかしい!



思うに、沖縄は男女の御付き合いには、寛大な土地柄でありました。 結婚も早いし、離婚も多いです。

以前は、
モアシビ〜というものがあり、夜の浜辺で火を焚き、若い独身の男女が、踊り遊びます。
気が合えば、サトウキビ畑に消えます。

さらに気が合えば、次の約束をかわし、再び、サトウキビ畑に消えたら・・・ 
結婚が成立!

村の衆の祝宴が始まります。

内地でも、祭の無礼講や、夜這いもあったらしいので、同じかもしれません。


ちなみに、ワシは
結構なオクテでした。 マセタ男子生徒も、ワシではありまへん!

まあ〜
 信じるかどうかは、皆様の御自由に・・・
 まあ〜 ポルノグラフィティくらい、見ておりましたが・・・


PS

始めて、カ〜サンの実家に、お邪魔した時は・・・  おおたまげ!

御両親、五人の兄弟と、その嫁・・・ そして、沢山の孫たち・・・ 15名程、並んでおりました!
結婚を申し込むほどの、付き合いでもありませんでしたし・・・ 気軽に遊びに行っただけでしたのに・・・

酔っ払ったオジイは、無口でしたが、仕事と、給料と、広島に帰るのかだけ、質問されました。

当時、オヤジが住んでいた借家は、雨漏りでしたし・・・ 貧しい、乱れた、修行生活に同情されたのでしょうか・・・

時々、食事にくるように言われ・・・ やがて、毎日くるように言われ・・・ そして、泊まるように言われ・・・
部屋が空いているので、使うように言われ・・・ 結局、数年、
居候させて頂きますた!

オジイ、オバ〜、兄弟の皆様の優しさに、甘えさせて頂きました。 有り難う御座いました。


その部屋と、カ〜サンの部屋は、四畳半で並んでおりました。

ある日、オジイは、「狭いなあ!」と呟き、
暴挙にでますた!

長女が生まれましたのも、
自然の摂理で御座います。
デキチャッタどころか、ウマレチャッタ結婚式でありますた!

もしキッズが、「どうして私が生まれてきたの?」と、質問したなら・・・ 答えまする!

「沖縄のオジイが、
あのをブチ壊したけえのう!」




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