平和

世界を揺るがす同時テロ事件が、起こってしも〜た!
超高層ビルが崩れ落ちる光景は、背筋の寒くなる、ショック映像でありました。

米・ソの核開発競争は、野球に例えると、直球勝負!
今回のテロは、
タイミングを外すスローカーブに、空振りしたような、意表を突いたものでした。

ナイフ一本で、旅客機を乗っ取り、それを武器に特攻するとは・・・
テロ組織も巧妙で、各国に潜伏した組織らしく、なかなか、
実像が見えてきません。
これからどうなるのでしょうか?


広島も、ツライ
原爆を、経験いたしました。

先日、三重県の
75才の叔母の家に、数日、泊めて頂きました。
叔母は被爆者で、現在、三重県内の中学校を回り、被爆体験を聞かせる、
いわゆる、
語り部(カタリベ)を、されております。


当時、叔母は19才で、
父・兄は戦地に出向き、母親は乳飲み子をかかえ、
12人兄弟の
暮らしは貧しいものでした。
すぐ下の妹は、風炎オヤジの母で、その下の妹は
被爆死いたしました。


行方不明の妹を探し、死体の散らばる焼け野原をサマヨイ、何度も、広島、呉を往復し、
やっと、妹を見つけた時は
瀕死の状態でした。
収容されていた呉の学校の近くの農家で、リヤカーを借り
広島駅近くの自宅に搬送中・・・

「ねえちゃん。
ブドウが食べたい・・・」 「よっしゃ・・・」
貧しい時勢、ブドウ畑の管理も厳しく、夜、
歩腹前進で、片手で持てるだけのブドウ、数粒を盗みました。
「ねえちゃん。
ありがとう・・・」と、言葉を残し、逝ってしまいました。


叔母独りで、
木切れを集め、燃やし、サンマのように、遺体を載せても、うまく焼けず
見かねた人から、
濡れムシロで覆う知恵を授かり、ようやく焼き・・・
喉仏だけを持ちかえりました。

極限状態では、ツライとか、悲しいとか・・・ あらゆる感情は枯れ・・・ 放心状態


被爆当日の朝、
体調の悪かった妹は、学校を休む事を望んだのですが、
「兵隊さんは、
戦地で、命がけで戦っているのに、何、甘えとるか!」と、
母親は、無理やり、家から送り出しました。 そして、被爆・・・

悲しさのあまり、叔母は、
その事で母親を責め、
台所に向かう、母親の背中は
無言で、いつまでも、大きく震えていたそうです。


修羅場の、焼け野原の惨状は、話しても体験した者でないとわからん!」
と、叔母は申します。
増してや、いかに便利な、
パソコンやTVでも、伝える事はできまへん!


叔母の人生も、実に
波乱万丈で、ありました。

9才の時、裕福な、
満州の親戚に預けられ、19才の時、広島に帰りました。
父親への、
土産のタバコの量が多すぎ、検閲に引っ掛り、乗船が遅れました。
予定の船は、米潜水艦の魚雷に
沈没、命拾いをしたとの事。

被爆のち、
黎明期の松竹に入社。
同期の、浅香光代らと、
役者を目指しました。

のち広島にて、芝居の一座の
座長として、各地を回り、
出会った男性が、危ない人で、親戚や役者にも迷惑をかけるので、
逃げるように
各地を転々・・・

現在、四日市にて、実に
人情味あふれる居酒屋のオカミとして、今も現役であります。

明け方5時まで、風炎オヤジとカ〜サンは、裏も表も正直な人生談を、聞かせて頂きました。


被爆の、
語り部講演では、中学生のは輝き、御礼の手紙は、感動の嵐でありました。

体験したものでないと解らない、
被爆の叫び、多くの人生経験、役者としての表現力・・・
その語りは、叔母の
人間としての力に、裏打ちされたものであります。

平和教育の、
マニュアル教師は、足元にも及びません!


アメリカは、自由と独立、
民主主義の国ですが、インディアンの略奪の上に成立した国!
先日の
京都議定書の批准も、大国の横暴を感じます。

ヨーロッパ諸国も、
植民地政策、宗教という名を借りた戦争!
日本も、
多くの過ちを犯してきました。

厳しい自然、
砂漠を、生き抜くための、一神教、イスラム!
そのなごりが、
独裁政治や、テロ集団なのかもしれません!


戦いは、相手の
悪い所ばかり責めても、解決せん!
御互い、相手を
理解する努力と、自分のを、認めんといけん!
人類の歴史は、戦いの歴史でしたが・・・ 
未来につながる考えを、せんといけん!


現在の争いは、国と国との、争いの
構図から、変化してきている気がします。
世界が近くなり、
株や為替も、激しく変化します。
個人的には、国と、国との
合併があっても、ええんじゃな〜かと、思うのだす。

アメリカでの、今度の争い、悲しい出来事、
一刻も早い解決を、望むばかりです。


叔母の、
語り部講演の、最後のあいさつ、学生へのメッセージ

「戦争は、国とか、思想とか、宗教とか・・・  どんな
名目を付けても、恐ろしいもの!」
大きな事よりも、自分の家族・親・兄弟と、仲良くする事が一番大切!」

それが、
平和のはじまり・・・


PS

叔母の友人の、
小さな小料理屋で、美味しい食事を、頂きました。
忙しい店で、
風炎作品も、店で使って頂いております。
オヤジは
名古屋名物土手焼きを注文しましたが、なかなか出て来ません!

図太い
役者声の、叔母いわく
「お〜い!
ドテがまだやで!ワシもドテ持っとるがな、ワシのじゃ食えんでな〜」

賑やかな店は、
一瞬、静まりかえり、カウウンターの人々も振り向き、叔母に注目
「どしたんや!皆ワシに
注目しとるじゃないか!」
「まだ
現役やで〜 カモンカモンやで〜」と、山田花子ポ〜ズ!

大爆笑! 
アッパレな生き方です。 オカマバ〜も面白かったです。




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