陶土

石見原土 フィルタープレス 素焼き鉢、乾燥

皆様、御存知のとおり、陶器はから生まれております!

風炎作品の場合、山陰・浜田、江津周辺の、鉄分の多い赤土が主原料です。
工房から車で約1時間の60km程の距離です。

作品の「土は何ですか?」と、いわゆる陶土の「
商品名」で質問される方が、
よくいらっしゃいます。 
芸大や陶芸教室の生徒さんでも、
原土を粘土にする作業・労働を、
で解る方は少ないと思います。

粘土はイメージできても、土がどの様にして粘土になるか
想像しにくいと思いますので、御説明致します。


どんな土にも、多少なりと粘土分があるもので、
水溜りに薄く層になった粘土はイメージできますよね。
それを
肉体労働によって、抽出する作業でがんす!

徒弟制度では、土揉み3年といわれ、若い丁稚(でっち)の労働によって、支えられてきました。


倉敷時代の工房は、広さ畳一畳、深さ1m程のタンクが並んでおり
これに
原土と水を入れ、櫓板で船漕ぎ攪拌。
泥水をフルイを通して
ゴミ・砂を除き、別タンクに移します。
しばらくしますと
沈殿しますので、透明な上水をもとのタンクに戻し、攪拌を繰り返します。
朝・昼・夕と繰り返し、沈殿したものが貯まり、粘土となります。

これを、素焼の鉢で乾燥し、程よい硬さになると、ムロにて貯蔵。
粘りを出すため、
焼酎やビールをかけ発酵をうながし、しばらく寝かします。

その後、各種粘土・砂・水などを混ぜながら、
素足で踏んで練ります。
直径1m程の円になるまで、人が
クルクル回転しながら、踏み延ばします。
さらに次々、重ねて、重ねて・・・ 
高さ1m程の円筒状になります。1t はあると思います。

一人が粘土を乗せ、一人が踏む・・・ 結構な
重労働であります。
次に、円筒状の粘土を、細いワイヤーで縦にカットして、また足で踏み、
同じ作業を3回ほど繰り返し・・・
大きいビニールでグルグル巻きして、乾燥を防ぎつつ保存します。

冬場は粘土が
凍りますので、素足はシビレ、感覚が無くなります。
バケツの湯に足を入れ、暖めながら作業を続けました。

ロクロ作業の前に、
菊揉みを200回程、繰り返します。
揉む時に現れる模様が、菊に似ていますので、こう呼ばれます。
これでやっと、ロクロに載せられる
粘土となります。


沖縄時代の工房は、さらに
ダイナミックでありました。
櫓板で攪拌ではなく、
米軍払い下げの、超ヘビーデューティーな
下半身をスッポリ包み、胸まである、
超長靴をはいてタンクに入り
スコップで、
人力攪拌しておりました。

谷川の水を、
ポンプでガンガン汲み上げ、ガンガン人力攪拌・・・
溢れた上泥水が、フルイを通して、別のタンクに貯まります。
3重くらいのタンクでしたので、上泥水は次のタンクへと、次々溢れ・・・ 
谷川に戻ります。

やがて、粘土分の無くなった砂が残りますので、捨てては原土を入れ、繰り返し・・・
最初の半年は、
一日じゅうこれで、足腰が随分、鍛えられました。


沖縄修行当時、

壷屋陶器組合
によって、恩納村の山中に、最新の製土工場が完成しました。
現在の「土つくり」は、ほとんどの場合、
フィルタープレスや土練機によって
機械化されています。

フィルタープレスは、水しか通さない、細かい目の布を、枠に挟み、プレスします。

機械で擦りつぶした
原土の泥を、強力ポンプで、枠内に圧抽出します。
水分は滴り落ち、枠内の粘土が適度な硬さになると、プレスを外します。
一枠の粘土は30k程あり、一回で1t程できます。 それを一日2回。
仕上げに土練機にかけ、ナイロン袋に入れて、製品になります。

機械によって
短時間で粘土が出来ますが、肉体重労働である事には変わりありません。
当時、沖縄時代の工房で三万円の給料を頂いておりましたが
日曜ごとに、この製土工場で
アルバイトして、日給五千円頂き、ずいぶん助かりました。

現在、
特に土にコダワル場合を除いて、作家・量産の工場でも、
こうした
機械化された粘土が使われています。

体で仕事を覚える、
徒弟制度は崩壊しつつあります。
「土つくり」を支えていた、
若い見習いの労働力の欠如も、機械化の一因であります。


畳ヶ浦 断層 千畳敷


風炎作品の
土の故郷、山陰・江津の石見瓦の工場近くに、国府海岸があり、
側の
畳ヶ浦は、地学上、貴重な、オモシロイ風景です。

丸い小石が重なったレキ層は風化し易く、波に侵食され、洞窟になりました。

時々、干潟になる
千畳敷は砂岩層で、断層の上部の茶の層と同じです。
20m程の
大断層です。

千畳敷は以前、
海底でしたが、1872(明治5)の、浜田地震(M7.1)によって隆起しました。
大断層は、それ以上の
地殻変動があった証拠です。

ものの本には、一億年前の
花崗岩が風化・・・ 流され・・・
こちら周辺にあった、300万年〜200万年前の
石見湖に、堆積しました。
その粘土が、
21世紀初頭の風炎作品に、化けております。

壮大な悠久の
時の流れですね。
風炎オヤジが死んでも、風炎作品は、もう少し
長生きするんじゃのう!


PS

美術館や博物館や本で、
古い陶芸作品を見る時、
美しさ・年代・時の支配者・技法 ・・・
頭で考えますが、加えて、今より
不便な時代の工人の、
労働・汗・想い ・・・
地球の営みに想いを馳せてみるのも、ええですよ!




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