沖縄サミットで想う事


夏休みに
風炎キッズは、沖縄の実家へと二人旅に出ましたが、サミットのため日程変更をしました!

サミット会場に沿ったビーチでの記念写真を持って帰りました。
政治のお祭りで、たくさんのお金が流れ、
経済援助の意味もあったのでしょうね!

想うに、会場は
ブセナという地名で、
赤土
ばかりの沖縄では、チョー貴チョー白土の山だった様な、気がします。

ないなったら、これから、どーするん?


昔、沖縄修行、はじめの頃、
土つくりで戸惑ったのは、土の種類・材料を地名で呼ぶ事でした。
イシカワ・キナ・ナゴ・メーガニク・グシチャン・ジャーガル・マージ・・・
 チンプンカンプンでした。

恐ろしいのは沖縄では、
殆どの材料が島内で揃うという事実です。


上質のモノではありませんが、かえってそれが
独特な壺屋・琉球焼の個性となっている様に思います。
土地・風土と焼き物は、深い関わりがある。 または、あったのは事実です。


倉敷修行時代、備前焼の
源流を訪ねる、窯跡探検サークルに、参加した事がありました。

野焼きの弥生土器から、
穴窯で覆い高温で焼く技術が伝えられ、須恵器が生まれ、
やがて、備前焼のような
焼き締めへと進化しました。


須恵器は、平安時代末頃ですが、
当時の、
山々点在する窯跡を、探検すると、当時の苦労がよく解かります。

ポンコツ・ダンプもない時代、陶土と燃料の松を追い求めて、窯を移動したようです。
材料・燃料を持ってくるというより、それを求めて
人と窯が移動したのです。
窯も長持ちしなかったのでしょう。


そして
便利な現代
すぐTELで、多種多様な陶土、外国の陶土まで手に入ります。

山陰の土、が有田へゆき・・・ 広島の土、がへゆき・・・ 信楽の土、が益子へゆき・・・
かくい
風炎工房作品も、遠くの滋賀の信楽土を、多少、混ぜております。

土地個性を作った時代から、作者個人個性の時代へと・・・ やがてどうなるのか?
う〜ん!

ITサミット、IT革命、逃れられない
近未来楽しみでもあり、不安でもあり、
発展の為のサミットの陰で、
沖縄陶器の個性が、ブセナが少し枯れました。

開発の影で、得るものもあれば、失うものもあるんだなあ〜
う〜ん!


沖縄では黒釉に使う
マンガンが、サトウキビ畑の土の中に、バラバラありました。

パチンコ玉くらいの大きさで、黒く、学術的にはマンガンノジュール
方言で
ヒージャのクソ! ヒージャとはヤギです。

仕事が終わって、よ
サトウキビ畑に、取りにゆきました。
雨上がりには、土の表面が洗われて、沢山
を出します。

夕日を浴びながら、必死に
ヒージャのクソを拾うオヤジの影は長く、
まるで
ミレーの絵のようだったカナ?

沈む間際の
夕日の赤が反射した雲と、コバルトブルーの空が混ざり合う一瞬!

理屈なしに、誠に美しいものでした。

チョー貴チョーな
ブセナの白土枯れないように・・・
夕日の赤は、あの日のままで、おってくれえのう・・・

PS

3速ギアの入らないポンコツ・2トン・ダンプ、ブセナを取りに行きました!
当然、エアコンもなく・・・ 
ブセナは重く・・・ ノロノロ運転・・・

オヤジは、アメリカのヤンキーに
バカにされ
飲みかけの缶コーラを車窓から放り込まれ、きゃつらは笑いながら追い越して行きました。

ヒージャのクソ!!




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