倉敷修行時代
大原美術館 | 鉢(金海窯) 茶碗(師匠作) |
中学三年の時、担任の美術の先生に連れられて、始めて倉敷に行きました。
当時、美術が好きではありましたが、担任の教師の人柄によるところが大きく、お世話になりました。
モネの睡蓮と、ゴーギャンと、ゴッホが、印象深いものでした。
特にゴーギャンは無理な構図を、無理やり色の力で押さえ込む大胆さ、印象的な赤!
好きでしたのう!
倉敷が人の集まる街になったのも、絵画の力、収集された方々の努力の賜物と、敬服いたします。
倉敷みなと窯にて19〜23歳まで4年間、貴重な焼き物修行をさせて頂きました。
師匠、兄弟子、奥様、皆様に、ご迷惑ばかりおかけして、申し訳なく・・・
当時の事を想い起こせば、今でも胃が縮みます。
キュン!
この場を借りて、深くお詫び申し上げます。
学生時代は親や教師の保護の中、当然のように、与えられながら、生きていました。
修行の場は、与えられるものではなく、体で覚えるものである事が、
体で解るまで、かなりの時間を要しました。
私の覚えの悪さが、兄弟子のストレスとなり、だんだんコワイ顔になるのが、
走馬灯の様に、想い出されます。
キュン!
師匠は控えめな方で、直接、言葉巧みに指導される人では、ありませんでした。
しかし、見えない所で、いろいろ気を使われる、優しさをお持ちでした。
それに気がついたのも、しばらく後の事でした。
今でも、いわゆる民芸としての職人の生き方を貫いておられます。
あの頃と同じ雑器を、作り続けておられ、ロクロの達人、その生き方には敬服いたします。
時代に流され・・・ わき見をしながら・・・ チンタラ生きる・・・
風炎オヤジは恥ずかしく、頭が下がります。
キュン!
ある日、のぼり窯の窯だしで、たくさんの抹茶碗が出ました。
その全ての中から、どれが一番良いものか、一つ選ぶように言われ、必死で選びました。
思いがけず、ナント、その茶碗を頂きました。
当時、朝鮮・金海窯の陶器が好きで、給料3万円の時、8千円の鉢を天満屋で買いました。
自炊のとき、その鉢と共に師匠の抹茶碗を飯碗にして、大山盛り飯! 失礼しました!
キュン!
ある朝、工房の掃除中、私の使わせて頂いていたロクロの上に、
丸い土の塊があり、それは、ロクロで作ったものでした。
手に取ると、二つに割れました。
ポコン!
ある夜、寂しい独りの食事中、例の鉢を使っていて、私の鈍い脳みそが、鳴りました!
そうだったのかと、頭をと叩きました。
ポコン!
丁寧な仕上げの為、板作り、タタラ作りと思い込んでいた、その鉢・・・
実は、ロクロで作り、二つに割った物である事に、気が付きました!
均一な厚さで形も整い、ロクロにしては上手過ぎるものでした。
あの時の、丸い土の塊は、そういう事か・・・ 師匠のさり気ない気遣いに、気が付きました!
師匠の抹茶碗、その時の鉢は、今でも、我が家の食卓に上ります。
毎日、お弁当を作って下さった奥様、ありがとう御座いました。
現在、倉敷みなと窯は、岡山県邑久郡、牛窓寒風に移築されております。
大原美術館へお越しの際は、すぐ側、蔵づくりのお店「花織」にお立ち寄り下さい。
風炎窯 「作品コーナー」が御座います。
PS
いつもより、敬語の多い文章になりましたが、これも、風炎オヤジの胃液のせいで御座います!
キュン!キュン!ポコン!