DOMOについて


展示会などで、お客様との、よくある会話。

「これ、何て書いてあるんですか?」 「DOMOじゃ。」
「はあ? どーも、どーも、のDOMOですか?」 「うん! どーも、どーも、DOMOじゃ。」
「はあ・・?」

作品の裏にサインとして、また箱書として、また絵付けのデザインとしてDOMOを時々使います。

これはオヤジの箱書き文化肩書き文化への、反骨の表れであり、
それでも気が向けばDOMOと書いてしまう、妥協の表れなのです。


オヤジがこうなったのには、ひとつの出逢いがありました。

サインは普通、作者や家元が立派な書体の毛筆で書き、朱印が押してあります。
その常識がコケタのは人間国宝、金城次郎先生の工房でした。

木箱にヘタクソな子供のような字で、それも油性マジックで堂々と「次郎」と書いてあったのです。
キズもの作品も、堂々と展示販売されているのです。

そんな細かい事を超越して、訴えるもの。これは何なんだ!

しばらく気分の悪い日々が続き、多様な価値に気が付き、何となく晴れた日に
口ずさんだ歌が「DOMO・DOMO・DOMO」でした。


この曲はオヤジにとって、最も偉大なエンターテナー、布施明の売れなかったシングルの
そのまたB面の曲で、作詞・曲も彼のオリジナルでありました。

それをオヤジが、井上陽水と永井龍雲とをタシテ、ワッテ、ヒックリ返して生まれた歌が
ただの 「DOMO」 でした。

沖縄の本当に、ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク限られた仲間内で大ヒットしました。

詩の内容は、出逢いは夢の物語、そして別れの愚かさをDOMOという言葉でまぎらわせ
めめしく生きる、男心の機微を歌ったものでした。

これを披露するのは、青春時代のラブレターを人前に、さらすのと同じで
この年ではブチ恥ずかしく、不可能。


DOMOの様なサインをするオヤジは、将来出世して大先生には、なれませんが・・・
DOMOのサインを見て、オヤジの心の機微を、少しだけでも
感じて頂ける人があればシアワセです。

金城次郎先生の登り窯の脇に投げてあった、バックリ割れたジーシーガーミを、
5000円で
譲って頂き、その上オマケで、口の欠けたダチビンを、2個もらったなあ〜




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